自分のために生きて、誰かのためになって。

#life

そんな言葉をよく聞きます。人は1人では生きていけない。だから、助け合う必要がある、と。それは確かにその通りです。

でも、私には人が足を開いて仁王立ちしているように見える。地面を強く踏みしめているようなイメージ。人と人が支え合っているのはもちろんそうだけれど、まずは自分の足でしっかりと歩んでいかなければ、支えてもらうことも、支えることもできない。自分で一歩踏み出して、挑戦して、たくさん努力して。困ったときに助けてもらえるのはそんな人。

支え合い、助け合う。その前に、自分の足で歩いていくことを一番に考えて生きていくことが大切なのではないかと思います。自分の人生を決めるのは自分なのだから。

私は、自分の好きなことややりたいことが誰かのためになることも多いのではないか、と思います。

大好きなピアノを毎日弾き続けていたら、いつの間にか誰かを感動させることができるようになった。
漫画家になりたくて書いた漫画をインスタに投稿していたら、面白いとコメントが来るようになった。
実験をしていたら、今後の医療に貢献できそうな大発見があった。
野球が大好きで野球部に入ったら、エース級の選手になってチームを甲子園へ導いた。

全て、自分の好きなことややりたいことが誰かのためになっています。プロや何かを極めた人たちは「天才」だと思われがち。でも、その裏にある「好奇心」「感動」「好き」といった自分自身のわくわく感が、天才だと思われるほどの能力を手に入れる原動力になっているのではないでしょうか。そして、それが誰かのためになるのだと思います。

もちろん、わくわく感だけではどうしようもなくて、たくさんの努力も必要になります。

大好きなピアノだけれど、弾きたい曲が難しすぎて嫌いになりそう。
漫画家になりたいけれど、インスタで毎日投稿するには体力や忍耐力が必要。
実験は楽しいけれど、思うように結果が出ずイライラが毎日募る。
野球の試合は大好きだけれど、走り込みや千本ノックは辛い。

わくわく感の中にも苦しみはつきもの。辛くて、悩んで、考えて、辞めたくて。本当はそんな苦しみを味わう必要なんてない。でも、全ては自分の「好きなこと」「やりたいこと」「楽しいこと」のために、自分で自分に課せた課題なんだ。

私は、誰かのために、誰かを支えるために、という生き方もとっても素敵だと思うけれど、自分のために生きることが誰かのためになるならば、そちらを選ぶ。自己中かもしれないけれど、私も幸せになりたいから。誰かが私を幸せにしてくれるって?そんな保障はどこにもない。自分の幸せをつくるのは自分だから。自分の足で、頑張る。

自分のわくわく感のためにたくさん頑張って、わくわくした人生を歩む。そして、仁王立ちできるくらい自信をつけた人間になる。繰り返しになりますが、そんな人間になりそんな人生を自分の足で歩くことができるからこそ、誰かと支え合い、誰かに頼ることができるのではないかと思います。

そもそも、「頼る」というのは、自分の弱いところや苦手なところを補うためのもの。無理なことを自分で頑張るのも限界があるし、人間の心なんて簡単にポキッと音を立てて折れる。とはいえ、私は頼ることがとても苦手。助けて、手伝って、が言えないのです。それなのに、「できないことややりたくないことはどうしてもやりたくない」という謎に包まれた性格。もうどうしていいかわからず辛いまま。もっと頼れたらいいのに、なんて思っています。

なぜ私は頼ることが苦手なのだろう?・・・もしかしたら、「リターンを返せないから」なのではないかと思います。「頼る」というのは、自分が誰かにしてもらう”一方的”なもの。「支え合う」というのは、自分が誰かにしてもらうこともあれば、自分も誰かのためにすることもある”相互的”なもの。つまり、「支え合う」にはリターンが必須。誰かに必要とされなければ、「支え合う」ではなく「頼る」になってしまう。私には相手のためにできる事なんてこれっぽっちもなくて、頼ることしかできないのではないか?してもらうだけで、私は相手のために何もしてあげられないのではないか?そんな自分が嫌だから、せめて自分のことは自分でやりたい。このような思いが、自分を辛くさせているのかもしれません。

支え合いって難しい。誰かにリターンを返すことができて初めて支え合っていると言えます。私は性格上自分のために生きることしかできないから、私の好きなことややりたいことで誰かのためになることができたら。そんな思いで立ち上げたこのブログ。私と同じ社会不適合者の方の気持ちを、ほんのちょっぴりでも動かすことができたらいいなと思います。

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