「頑張れ」という、背中を押されたり突き放されたりする言葉。

#life

「頑張ってね!」という言葉。
応援されることはとっても嬉しいけれど、なんだかちょっぴり辛くなる。なんでって?

純粋に応援するつもりで「頑張ってね」と伝えてくれたのはもちろんわかっている。それでも、なんだか辛くなってしまう。もう十分頑張っているのに、これ以上頑張れというの?

社会不適合者の私は、まるで普通の人間であるかのように演じながら生きています。それは、心が折れてしまうくらいの体力と精神力が必要。頑張って頑張って、やっと普通の人間かのようになれるのです。そんなときに頼りになるのが、辛いときに辛いと言える、弱音を吐ける人。片手で十分数えられるほどの大切な人からの「頑張れ」ほど、辛いものはないです。

あれ?
もう頑張ってるのに、もう限界なのに。
伝わってないのかな?
これ以上頑張ることが難しいから相談したのにな・・・。

私は、”頑張れ”よりも「頑張ってるよね!」「頑張ったよね!」の方が嬉しいです。私が十分頑張っていることが伝わっているような気がするからです。”頑張れ”は辛い。そう感じるのは、きっと

これ以上頑張れないから。
頑張れない自分が嫌いだから。

“頑張れ”という言葉は、本来は背中をそっと押してくれるような言葉。それなのにおかしいな。まるで辛い気持ちに追い打ちをかけられたかのような、雑に突き放されたかのような気持ち。それに、”頑張れ”という言葉はあまりにも抽象的。何を頑張るの?どう頑張るの?もっと強くなるにはどうしたらいいの?

そんな終わりの見えないレースで頑張れなんて、あまりにも無責任。量産された心ない”頑張れ”に苦しめられ、頑張りにくくなってしまうような気がします。そして、本当に応援してくれる人は、”頑張れ”という言葉ではなく、行動に移ないでしょうか。

何を頑張るの?
どう頑張るの?
いつまで頑張るの?

きっと「一緒に考える」「一緒に頑張る」という方法で力を貸してくれます。そんな人から”頑張れ”と言われて初めて、頑張ろうと思えるのではないでしょうか。

あなたが”頑張れ”と言われたときの感覚はどうでしょう。背中をそっと押してくれましたか。それとも、雑に突き放されましたか?もしも後者であれば、ほっと一息つく必要がありそうです。「私、いつも頑張ってるよね!偉い!」そんな自分へ、お休みのご褒美を。

人間の心なんて簡単にぽっきり折れてしまう。”頑張れ”に苦しめらたからこそ、自分自身も”頑張れ”を使うタイミングを間違えてはいけません。その声かけに「ありがとう!」と笑顔を見せても、その笑顔は偽物かもしれない。”頑張れ”って、難しい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました